「特異な才能」の特例制度についての骨子案について

次期学習指導要領に関する「特異な才能」の特例制度について、ワーキンググループで骨子案が示されました。
これに関してのメディアの報道を受けての、いろいろな意見・批判を目にしています。
毎度ながら、メディアは一部を切り取って報道しているので、この骨子案や制度の本質を伝えているわけではありません。
文科省では「ギフテッド」という言葉は使っていませんが、この「使わない」という判断も、十分に検討の上、なされています。
メディアの報道のみを見て批判されている方は、ぜひ一次資料にあたる文科省の資料を読んでいただきたいです。

資料は42ページに及びます。(p25以降は参考資料)
文科省が独自の見解で作成したものではなく、ワーキンググループでの議論をすべてふまえ、それを形にしたものです。
ですから、本来ならば、骨子案の元となったこれまでの議事録に目をとおした上で、この制度の趣旨を見定めていただきたいところではあります。
AIを使えば、自分が最も課題意識を持っているところを拾うこともできるでしょう。
批判をされている方々がご自分の目で確かめてくださるといいな、と思いつつ、この投稿では、この骨子案をみなさんと一緒に読むような感じで、感想などを述べていきたいと思います。

目次

基本的な考え方

まず、p2です。
ここには、この特例制度の「基本的な考え方」が載っています。
「困難」がキーとなっていますが、この「困難」は、その子が持っているもの、というより、環境とのずれによって生じているものとの捉えが重要です(社会モデル)
その「環境」とは、「正解主義」や「同調圧力」などの偏りも含みます。
そして、「困難」の解消は、子どもの学ぶ権利の保障や健やかな成長のためになされるという視点が大切でしょう。

「ギフテッド」を定義するものではない

批判の中には、「これは『ギフテッド』ではない」といったものが、(またしても)ありました。
どれも、それぞれの方が心に思う「ギフテッド」のイメージに合っていない、ということなのだと思います。
ですが、そもそも、この特例制度は、「ギフテッド」の”真の”定義や、「だれが『ギフテッド』であるか」を決めるためのものではありません。
p4には、
「特別の教育課程の対象児童生徒のみが特才児童生徒であるという理解とならないことが重要」
とあります。
ラベルづけするためのものではないのに、ラベルについて議論をすることは違うだろうと感じます。

通常の教育課程の包摂性を高める

ある分野に非常に強い興味関心を持っていたり、それをとことん深めようとする知的欲求を持っている子をすべて、2階と呼ばれる特例制度に送ろう、という趣旨ではなく、1階と呼ばれる通常の教育課程における支援の可能性を十分考えた上で、それでもなお十分に支援できない場合に検討される「支援のあり方」を示すものです。
議論の中でも、よく話題になっていたのが、1階(通常の教育課程)を、いかに柔軟にするか、包摂性の高いものにするか、でした。
議論の中では、「大人が想定する『好き』から外れたものもあるだろう」といったような意見も出ていたと記憶しています。
「興味関心の『良し悪し』を大人がジャッジしないようにという視点は、1階でも2階でもどこでも、教育という営みにおいて、とても大事なことだと思います。
この特才の特例制度を契機に、大人が持つ「子ども観」が広がり、学校のこれまでの「当たり前」が問い直されることも期待します。

子どもの気持ちが最優先

この特才の特例制度は、見込みがある子をピックアップして、国のために役に立ってもらおうという制度ではありません。
議論の中では、(親でも教師でもなく)子どもの気持ちを第一に尊重しよう、という意見も何度も聞きました。
ですから、「こんな方法では才能は伸びない」という意見も、「大人の都合で才能を開発させるなんて」という批判も、この制度の趣旨からは、ちょっとずれているのかな、と感じます。

子どもの多様な「学びたい」に応えるための、多様なアプローチを模索するものだと信じています。

今後の議論に期待したいこと

その上で、僭越ながらいくつか懸念点を。

①「大学等につなぐだけで、その子の「知りたい」「やりたい」は満たされるのか」
「大学の先生方に、小学生のファシリテートができるのか」
は、気になるところです。
このあたりは、大学等に丸投げではなく、相談支援機関がサポートすることとなっていますが、「才能教育」の専門性や、探究のファシリテート(伴走者)の質も議論にのぼってほしいです。
大学の先生方は、それぞれの研究等でお忙しいですし、また、専門家の方が小中学生の認知発達についての知識や教育的支援に関するノウハウをお持ちとは限らないと思います。
残念ながら、専門家に教えを乞いに行って、マウントを取られたり、ハラスメントにあったという話を耳にすることもあります。
またほかに、実際の運用面では、付き添いや費用面の現実的な問題も出てくるだろうと思います。

②「困難を感じていない子、または、自分が困っていると気づいていない子はどうなる?」
これも気になります。
人知れず我慢している子もいるでしょう。
また、「強い興味関心」にしても、それを表に出せない子もいるかもしれません。
つまり、どの子にそのニーズがあるのかは、「その目」を持っていないと分かりにくいだろうということです。
だからこそ、通常の教育課程で、すべての子に才能教育の機会があることが重要だと思います。
現時点では「困り感」がキーになっていますが、通常の教育課程に才能教育の視点が入ることで、多くの子どもが、より自分らしく、深く、学べるのではないかと考えます。
そのためには、通常の教育課程にたくさんの「余白」があること、教員みなさんの環境が良好であることが必須条件となるでしょう。

③資料の表現としては、対象活動の例に「算数(数学)」「理科」があげられがちなのは、「誤解」を生みやすいと思っています。
ワーキンググループでは、「算数」「理科」はあくまで例に過ぎないことが強調され、子どもの興味関心は多様で、「教科」という枠にはまらないものもあることも押さえられていましたが、資料に「算数」「理科」と載ってしまうと、メディアはここを切り取りたがりますし、「この制度は理系がイメージされているのだな」と思われてしまうだろうなと…。
このあたりの表現は工夫されるといいなと思います。

④第8回の審議で、野口委員から、「特別支援学級や特別支援学校に通う子どもで特定分野に才能のある子どもについては今回どうなるのか」というご質問がありました。
私たちは、障害の有無に関係なく、才能伸長教育の機会はあるべきだと考えています。
通う場で分けられることなく、特才の特例制度が適用されるといいなと思います。

長文をお読みくださり、ありがとうございました。(上田)

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